リヴァプール・フットボール・クラブは、レッズのレジェンドであるレイ・クレメンス氏のご逝去の報に接し、悲しみにたえません。72歳でした。

リヴァプールの元ゴールキーパーは、クラブを代表する史上最高の選手として多くの人々に評価されていた。13年間で665試合に出場し、実質的に全てのタイトルを獲得した。

ビル・シャンクリー監督率いるチームと契約を結んだクレメンス氏は、レッズが1970年代のあらゆるタイトルを獲得し、最終的にはボブ・ペイズリー監督の下でヨーロッパ王者になった際の手強い、常に無敵を誇る最終ラインの選手だった。

クレメンス氏が獲得したトロフィーの多さは、彼が大きく貢献した時代の成功を全て物語っている。欧州カップ3回、リーグ優勝5回、UEFAカップ2回、UEFAスーパーカップ、FAカップ、リーグカップ。

動画:自身の言葉で語るレイ・クレメンス氏

1967年の夏、スカンソープ・ユナイテッドから18,000ポンドで加入したクレメンス氏の契約は、リヴァプール史上最も賢い選手獲得の1つだろう。

セントラル・リーグで修行を積み、1968年9月にシニアデビューを果たすと、1969-70シーズンにはトミー・ローレンス氏に代わって先発に定着した。

その後の11年間で欠場したリーグ戦は、わずか6試合。

ゴール前では冷静で、頼もしいプレーを見せるクレメンス氏の才能は、周囲の人々に自信を与えた。そして、鮮やかな緑のジャージを着たストッパーは、マージーサイドの名物選手となり、すぐに彼の才能に見合うだけのメダルを獲得した。

彼がリヴァプールに所属していた頃、クラブは黄金期を迎え圧倒的な強さで試合を支配していたこともあり、レッズのゴールキーパーのもとに敵が攻め込んでくる場面は少なかっただろう。しかしながら、彼の集中力は決して途切れることはなく、常にボールを捉えていた。

そして、レッズの最終ラインが突破された時、クレメンス氏は常に決定的なセーブを見せ、チームにとって貴重な存在であることを証明していた。

同様に、彼の最大の特徴は予測の才能、ポジションの認識、そして稲妻のような素早い反応だった。その特徴を示したのは、1972-73シーズンと1975-76シーズンのUEFAカップのボルシアMG戦(決勝戦1stレグ)とディナモ・ドレスデン戦(準々決勝)のそれぞれのPKをリーチのあるダイビングセーブで阻止した瞬間である。

また1977年にローマで見せた、ゴール前から飛び出してブロックし、ウリ・シュティーリケ氏のシュートをストップした場面が思い出される。その試合でリヴァプールがグラードバッハと引き分けたことで、クラブ初の欧州カップ出場を果たした重要な試合である。

クレメンス氏がミスをすることはレッズが試合に敗れることよりも稀だった。クリーンシートが当たり前で、守備の記録を日常的に塗り替えていった。

実際に、1978年に欧州チャンピオンになってからも満足することなく、翌シーズンには、彼とディフェンス陣が国内で前人未到の記録を達成した。

リヴァプールは、リーグ戦42試合でクラブ史上最小の16失点を記録し、過去4シーズンで3度目となる優勝を飾った。そして、クレメンス氏は全ての試合に出場した。

リヴァプールファンに崇拝されていたがゆえに、彼の優れた才能を近くで見ていたサポーターは、彼が1981-82シーズンにトッテナム・ホットスパーへの移籍を発表した時、とても驚愕し、失望していた。

しかし、彼はパリでレアル・マドリードを1-0で破り、3度目のチャンピオンズリーグ優勝に貢献した。また、自身にとって323度目かつレッズで最後となるクリーンシートを成し遂げたのだった。

彼のパフォーマンスが絶頂期だった時、クレメンス氏は間違いなく世界最高のゴールキーパーの1人だった。また彼の存在は、リヴァプールファンから忘れられることはないだろう。

クラブの歴史で彼より多くの出場記録を持つのは3人だけで、彼よりも多くのトロフィーを獲得したことがある選手はほとんどいない。誰も彼のクリーンシート記録を超えることはできないだろう。

彼のアンフィールドでのキャリアを思い返すと、多くの素晴らしい言葉が頭に浮かぶが、それを的確に言い表したのが次の表現だろう:卓越したゴール前での守備。

クレメンス氏は、ホワイト・ハート・レーンでも7年間活躍し、スパーズの選手として100試合以上に出場した。また、1987年にはスポーツ界への貢献が認められてMBEを受賞した。

選手として母国のために61試合に出場した彼は、その後、イングランドサッカー協会に加わるとイングランド代表チームのコーチに就任し、2013年に引退した。

リヴァプール・フットボール・クラブ関係者一同、クレメンス氏のご家族およびご友人の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

クレメンス氏のご冥福をお祈りいたします。1948-2020