ジェラール・ウリエ氏の訃報に際して
リヴァプール・フットボール・クラブは、クラブの元監督であるジェラール・ウリエ氏のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します。73歳でした。
このフランス人は6シーズンに渡ってレッズの監督を務めた。2000-01シーズンにはリーグカップ、FAカップ、UEFAカップの3冠を達成し、クラブを再びチャンピオンズリーグへの舞台に導いた。
2001-02シーズンに自身の命を救った心臓の手術から回復し、ベンチに戻ってきたウリエ氏は、2003年にリーグカップで2度目の優勝を果たすと、その翌年にリヴァプールを去った。通算307試合で指揮を執り、クラブを近代的な強豪として見事に再建した。
リヴァプール・フットボール・クラブ関係者一同、ジェラール・ウリエ氏のご逝去の報に接し、悲しみにたえません。ウリエ氏のご家族およびご友人の方々に心よりお悔やみ申し上げます。
ウリエ氏とリヴァプールの関係性は、彼がクラブで働きはじめるずっと前から始まっていた。ウリエ氏は1960年代にリヴァプールで教師として働いており、1969年にはKopスタンドでレッズの試合を初観戦している。
その後、母国に戻って監督としての名声を確立し、指導者としての知識を身につけると、ランス、パリ・サンジェルマン、そしてフランス代表チームなどの監督を歴任した。
1998年の夏にジェラール氏はマージーサイドにやってきた。当初はロイ・エヴァンス氏との共同監督という形で指揮を執った。同年11月に単独でリヴァプールの監督に就任し、新たな世紀に向けた着実な変革を始めた。
トップリーグを7位、4位で終えた後の2000-01シーズンに、ウリエ氏はレッズ史上屈指となるシーズンを過ごした。
この素晴らしいシーズンにリヴァプールは63試合を戦い、カーディフでのリーグカップを皮切りに、3度のカップ戦を制覇した。
リヴァプールは、リーグカップ優勝の3か月後にも再びミレニアム・スタジアムでの決勝戦に臨んだ。レッズは、マイケル・オーウェン氏の試合終了間際の劇的な2ゴールでアーセナルを破り、FAカップのタイトルを獲得した。
ウリエ氏が率いる選手とそのファンは、その4日後にも勝利を祝うことになる。ドルトムントで開催されたUEFAカップの決勝戦では、延長戦でのゴールデンゴールにより、レッズが5-4でアラベスに勝利した。
その一方でリヴァプールは、リーグ3位以内に入り、ヨーロピアンカップへの出場権獲得という別の大きな目標も達成する。シーズン63試合目のチャールトン・アスレティック戦を4-0で勝利したことで、その目標達成に成功した。
2001-02シーズンの初めには、チャリティー・シールドとUEFAスーパーカップを制覇するなど、2001年は年間で5つのシャーレを獲得した。
しかし、このシーズン中には波乱に満ちた厄介な出来事が起こることになる。ウリエ氏は2001年10月に体調を崩し、心臓の手術を受け、長い療養期間に入った。
しかし、ウリエ氏は在任期間中にスタジアムに帰ってきた。チャンピオンズリーグの準々決勝進出を決めたASローマ戦で、ジェラール氏がサプライズで現場復帰を果たした夜は、アンフィールドでの最も感動的だった瞬間のひとつだ。
同年、リヴァプールはウリエ氏のもとでプレミアリーグのタイトル獲得を目指したが、最終的にはアーセナルに次ぐ準優勝に終わった。
2002-03シーズンのリーグカップ決勝では、前回優勝時と同じカーディフの地でマンチェスター・ユナイテッドに勝利し、チームを6度目の優勝に導いた。
スティーブン・ジェラード氏をクラブの将来を担うキャプテンに任命したのもジェラール氏だった。アカデミーからのリヴァプール出身選手の台頭を促し、自身のチームを形成するだけでなく、スターティングイレブンにも起用した。
ウリエ氏は、自身がリヴァプールで指揮を執る最後のシーズンとなった2003-04シーズンに、再度クラブをチャンピオンズリーグへの出場権獲得に導いた。ご存知のとおり、その翌年にレッズはイスタンブールで優勝を果たすことになる。
その後、彼とクラブは別々の道を歩むことになったが、リヴァプールの近代史に残る革命的で重要な人物として、彼のレガシーは受け継がれ、今なお大切にされている。
ウリエ氏は、アンフィールドに別れを告げた後、フランスのオリンピック・リヨン、イングランドのアストン・ヴィラと、2度にわたってクラブの現場に戻っている。
彼はレッズのサポーター、そして共に成功を勝ち取った選手たちからも同じように愛されている。レッズのサポーターに関しては今年の初めに「サポーターは本当に特別な存在だった。私もその一員だった。そのことを忘れないでいてほしい」とジェラール氏は話している。ウリエ氏はその後もクラブとの密接な関係を保ち、2016年にはシドニーでリヴァプールFCレジェンドチームの指揮官を務めた。
リヴァプールFC関係者一同、これからの日々において彼との別れを寂しく思うでしょう。
Allez, Allez, Gerard Houllier 1947-2020