リヴァプール・フットボール・クラブは、元所属選手であるマイケル・ロビンソン氏のご逝去の報に接し、悲しみにたえません。61歳でした。

少年時代からレッズのサポーターであったロビンソン氏は、プレストン・ノースエンドとマンチェスター・シティで活躍し、その後移籍したブライトン・アンド・ホーヴ・アルビオンから1983年8月にクラブに加入した。

イアン・ラッシュ選手のバックアップとしてチームに加入したロビンソン氏は、最初のシーズンには42試合に出場した。その年、ジョー・フェイガン監督がチームをヨーロピアンカップとリーグカップの優勝に導いた。 

ウェンブリーで行われたチャリティ・シールドの試合でデビューすると、その10試合後に、このストライカーはアンフィールドでのオーデンセ戦で初ゴールを決めた。この2週間後にはウェスト・ハム・ユナイテッドとのリーグ戦でハットトリックを記録した。

彼は、このシーズンの全公式戦で12得点を決め、リヴァプールの1部リーグ3連覇に大きく貢献した。さらに彼は、後にエヴァートンとの再試合に勝利し、優勝を果たしたリーグカップ決勝戦ではベンチ入りし、チャンピオンズリーグでは主役となった。

マイケル氏は95分に途中出場した。試合はPK戦の末にフェイガン監督率いるリヴァプールが、スタディオ・オリンピコでASローマを破り、4度目となる戴冠を飾った。

翌シーズンになると出場機会は限られることとなった。1984-85シーズン前半に10試合出場1ゴールの記録を残すと、年の瀬にはクイーンズ・パーク・レンジャーズへ移籍した。

アイルランド代表にも選ばれていたロビンソン氏は、後にスペインのチームに移籍し、新たなサッカー人生を送った。

オサスナで引退後も彼はスペインに留まると、長年の間、テレビ解説者、評論家、そしてプレゼンターとしても活躍し、人気を集めた。

リヴァプール・フットボール・クラブ関係者一同、ロビンソン氏のご家族およびご友人の方々に心よりお悔やみ申し上げます。

ロビンソン氏のご冥福をお祈りいたします。1958-2020